藩士の家格  無給帳掲載者


つづいて無給帳に掲載されている者について見ていきましょう。

下表は無給帳の家格と人数を示したものです。

家 格   通番 人数
手廻組        
(御手廻組)   1500-1643,1644-1646 146 (68) ←ダブルカウントあり
御右筆   1647-1665,1666-1675 29 (6) ←ダブルカウントあり
御茶堂   1676-1763、1764 88 (37) ←ダブルカウントあり
遠近方触流   1765-1992 228 (200)
惣無給 (無給通) 1993-2529 536 (488)
御膳夫   2530-2555 26 (24)
御鷹匠   2556-2560 5  
寺社組   2561-2609 49 (43)
(供徒士) 児玉惣兵衛組 2610-2654 45  
(供徒士) 毛利虎十郎組 2655-2694 39 (32)
(地徒士) 御国歩行通 2695-2758 64 (47)
御陣僧   2759-2810 52 (29) ←内14人嫡子御雇
三十人通   2811-2868 58 (45)
  三十人通触流 2869-2872 4  
細工人   2873-2964 92  
浜崎(船大工) 梶取 2965   (1) ←氏名無し
  御手舸子 2966   (16) ←氏名無し
  歌舸子 2967   (12) ←氏名無し
  大舟大工 2968 1  
山口 馬指 2969   (1) ←氏名無し
三田尻大船頭 大船頭格 2970-2971 2  
中船頭 2972-2999、3000 29 (25)
小船頭 3001-3016 16  
船頭稽古扶持   3017-3022 6  
  梶取 3023   (6) ←氏名無し
  御船大工 3024-3025 2  
  木挽 3026 1    
  杣之 3027 1  
  鍛冶 3028-3029 2  
  御茶屋組 3030   (5) ←氏名無し
  御手舸子 3031   (215) ←氏名無し
  平郡舸子 3032   (125) ←氏名無し
山代   3033   (15) ←氏名無し
京大坂 大坂船頭 3034 1  
  大坂淀舸子 3035   (11) ←氏名無し
  大坂御屋敷御門番 3036 1  
  大坂御屋敷御門番 3037 1  
  京手子六尺 3038   (2) ←氏名無し
御弓之者   3039〜3045   (147) ←氏名無し
御鉄砲之者   3046〜3070   (525) ←氏名無し
四役 御小人 3071   (4) ←氏名無し
  御道具御挟箱之者 3072   (2) ←氏名無し
  御籠之者 3073   (4) ←氏名無し
  右之食焚 3074   (1) ←氏名無し
  御厩之者 3075   (109) ←氏名無し
  御雑色 3076   (41) ←氏名無し
  御食焚 3077-3088 12  
十三組御中間   3089-3101   (400) ←氏名無し
御地方中間   3102   (235) ←氏名無し
百人中間   3103   (50) ←氏名無し
    3104   (50) ←氏名無し
新百人中間   3105   (117) ←氏名無し
    3106   (117) ←氏名無し
新中間   3107   (69) ←氏名無し
    3108   (68) ←氏名無し
六尺   3109   (158) ←氏名無し
天下御送場御中間   3110   (12) ←氏名無し
諸所御門番   3111-3121   (27?) ←氏名無し
要害番   3122   (5) ←氏名無し
御武具方御中間   3123   (7) ←氏名無し
時打   3124   (3) ←氏名無し
野山屋敷番御中間   3125   (6) ←氏名無し
検断   3126   (14) ←氏名無し
    3127   ←氏名無し
御手大工   3128-3130   (31) ←氏名無し
石切   3131   (7) ←氏名無し
吉田御茶屋御道具番   3132   (1) ←氏名無し
籠番之者   3132   (5) ←氏名無し
御鷹方下役   3134-3163 30  
水人 御蔵元附御中間   3164-3464 301 (305)
御蔵元附支配   3465-3469 5  
 

分限帳でも出てきた手廻組から三十人通までの者が掲載されているのは、扶持(ふち)で給付を受けていたからです。

無給帳より、三十人通の下にもかなり多くの家格があることが分かります。

細工人とは『もりのしげり』のよると、

 諸種ノ細工職ヲ以テ奉仕スル階級ナリ其職四十余種ヲ算ス 文久三年十月八日初テ帯刀ヲ許サル 但シ苗字ハ従前ヨリ許可サレ居レリ

とあります。表具師、蒔絵師、塗師や畳細工、鉄砲金具などを作るいわゆる職人の集団です。苗字を使用することは古くから許されていましたが、刀をさすことは文久3年に許されたとあります。
続いて船関係の家格です。船手組は三田尻(現在の山口県防府市)にあったので、大半はここに在住していました。

ここで、家臣団の構造を知ろうとすると突き当たる大きな壁に遭遇します。このあたりから、氏名が記載されていない者がちらほら出てきます。具体的には、単に「○人」というように人員だけになっています(表中では「氏名無し」と書きました)。

そして、御弓之者、御鉄砲之者と続きます。前者はいわゆる弓足軽(ゆみあしがる)で21人を一組とし七組で合計147人です。後者は鉄砲足軽で、同じく21人の組が25組で合計525人です。両者の合計の672人の名前が書いてないので、もし先祖が足軽だったとしても、それを無給帳で調べることはできません。

『もりのしげり』のよると両足軽は、

先手足軽 往昔ハ三十一組アリシカ手廻足軽編成ノ為メ其六組ヲ抜キ 二十五組トナル内五組ハ弓隊ニシテ一組二十一人アリ 二十組ハ銃隊ニシテ同ク二十一人宛アリ 而シテ弓隊ハ苗字ヲ許サレ銃隊組ハ単ニ書上苗字ヲ許サルコト 手廻足軽ト同シ 文久三年十二月九日銃隊組ノ二十組ヲ十組ニ合ス 総頭ヲ大頭 寄組士)と留シ其配下各組ニ一人宛大組物頭大組士ヲ置ク 慶応元年五月二十一日又書下苗字ヲ許サル 同元年六月十五日足軽一統ヲ銃隊ニ編シ其七月十八日手廻先手ノ名称ヲ廃シ一般装條銃隊ト称スルニ至レリ

とあり、弓足軽は苗字の使用を許され、鉄砲足軽は願い書などを書いて申し立てるときは苗字を使って良い(その返事には苗字は書かれない)とあります。弓足軽のほうが鉄砲足軽よりも格が上ということです。慶應元年には鉄砲足軽も弓足軽と同様の苗字の扱いとなったとあります。

次の四役以下、○○中間(ちゅうげん)という階級も同様で、人数のみ記載されていて、名前は分かりません。


中間の下に書かれている「検断」という階級は


検断 一組ニシテ十四人アリ罪人ノ斬首ヲ司ル 宝暦十三年仕法ニ勤功アルモノハ年限二因リ士雇ニ昇ルコトヲ得トアリ

とあります。罪人の首をはねる役目です。勤功があった場合は、期限付きで士雇(さむらいやとい)に昇格することがあるとあります。士雇とは前で述べた三十人通に空きポストがないときに留め置かれる階級です。前ページで「三十人通(さんじゅうにんどおり)がいわゆる「武士」といわれる階級と考えています」、と書きましたが、正確には留め置かれた「士雇」までが一応武士ということになります。

話が脱線しましたが....、表の最後の三つ、すなわち、御鷹方下役、水人 御蔵元附御中間、御蔵元附支配は一人ずつ名前がありますが、「弥太郎」、「彦五郎」という具合で、苗字はありません。


以上、無給帳の掲載者は少なくとも 
4,344人ですが、異動が多く、これよりはいくらか多いと予想されます。

この内、少なくとも 2,624人は名前が書いてありません。
これはどういうことか....。

それは足軽や中間は組単位に管理され、名簿もその組で管理されていたからです。その名簿がどこかに現存していればいいのですが、それは残っていないないだろう、というのが一般的な考えです。

これまで、このホームページの「お問い合わせ」でいただいた先祖に関するご質問で、分からなかったのは2,624人+αの場合と考えています。この場合、私のデータベースでは、このグループに含まれる、ということはほぼ断定できるのですが、それ以上進めません。

しかし、そこで引き下がらずに、失われた名簿を構築しようと、日々奮闘しています。