実名情報収集の現状


 江戸時代の山口県には、毛利家本家が藩主である萩藩の他、支藩として徳山藩、長府藩、清末藩、岩国藩(明治以前は岩国領と呼ばれた)がありました。

 萩藩の家来を萩藩士、支藩の家来は徳山藩士、長府藩士、清末藩士、岩国藩士となり、この藩士を主人とする家来が陪臣となります。萩藩陪臣とは、萩藩士を主人とする家来ということになります。

萩藩士の場合

 毛利家文庫には分限帳(+無給帳)や系譜の他、萩藩士に関わる文書類が数多く残されていますし、活字化されているものも結構あるので、萩藩士であれば調査は比較的容易です。とはいうものの、これは大身の場合で、足軽、中間に近づくにつれ、情報が少なくなります。

支藩士、陪臣の場合

 武士だったとは聞いているが、萩藩の分限帳を調べたが、それらしい人がヒットしない、という場合は、支藩士か陪臣である可能性があります。萩に住んでいたから萩藩士とか、萩以外に住んだから違う、というほど単純なものではありません。

 支藩士と分かっている場合は、分限帳がまずまず残っていて、活字になっているものもありますので、比較的調べやすいと思います。

 陪臣と分かっていて、主人(藩士)の名前も分かっている場合、主人の家の史料が残っていないと調べるのが難しくなります(残っていないことが多い)。ところが、主人が誰かが分からない場合や、陪臣であることすら分からない場合は、かなり調査が難しくなります。 そこで、長年の歳月をかけて陪臣のデータを収集してきました。

現在では萩藩士のデータ収集しており、このホームページで「萩藩関係者データベース」として試験運用しています。

支藩の家来については、データ収集はしているものの、データベース化するには、今の私の負荷では無理な状態です。

ともかく、紹介している「活字本について」公開データーベースでざっと調査されることをお勧めします!